別府と今治を結ぶもの
さかのぼること戦国時代。
四国の周辺海域は村上水軍(瀬戸内水軍)によって海の安全が守られていました。
村上水軍の祖は平安期の村上天皇を発し数代の御代を降り、伊予国(愛媛県今治)で「三島村上」と呼ばれていた一族です。
それぞれ拠点とした島の名に因み、南から「来島村上」「能島村上」「因島村上」と名乗り、当時は日本全国知らぬ者はないと言われるほど名高い水軍でした。織田信長も“天下一の水軍”と承知していた記載が『能島家根本覚書』で確認でき、来島村上は豊臣秀吉の側近として豊臣政権の布石となったとされています。
久留島氏の祖は、この「来島村上」にあたります。
天下分け目の関ヶ原の戦いで西軍が敗れ、西軍側だった来島村上は断絶の危機に瀕しますが、西暦1601年(慶長6年)、名を「来島」から「久留島」に改め、豊後で久留島氏を藩主とする森藩が成立し大名へ返り咲きます。
豊後の大名となった後、止血剤や染物の色止めとして重宝された明礬採掘で藩を潤わせ、温泉施設「照湯」によって痛みで苦しむ多くの人々を癒しました。
別府に照湯を造営するに至るまでには、何百年もの遙か昔、今治の水軍として智をもって戦いを乗り越えてきた系譜があったのです。
2014年 久留島氏にとっては、思わぬ形で故郷に錦を飾ることになりました。
史実をもとに村上水軍の活躍を書いた『村上海賊の娘』(著者:和田竜)が本屋大賞を受賞。
村上水軍博物館をはじめ、愛媛県今治市が大きく脚光を浴びることになりました。
「来島村上」と名乗っていた過去の功績が故郷に錦を飾ったに他なりません。
村上水軍博物館
今治市は本屋大賞受賞で脚光を浴びる
本州と四国を結ぶ来島海峡大橋
来島村上の城があった来島
創業者の想い
弊社の創業者 濱田 茂は、かつて来島村上が栄えた今治で産声を上げ、幼少期を過ごしました。祖先は商いを営む豪商だったとされ、今治には今も“濱田”と名の付く企業が目立ちます。
創業者は青年期にかけ一度別府に落ち着きますが、居を大阪に移し仕事に就きます。
「なぜ東京ではなく大阪に行こうと思い立ったのか今でも不思議。豊臣秀吉に仕えた来島の殿様に呼ばれたのかもね」と当時を振り返っています。
再び別府へ戻り、偶然にも殿様屋敷のあった場所に社屋を建て温泉研究を始めることも、その温泉から奇跡的な発見をすることもまた、遠い祖先の結びつきあっての「縁」なのかもしれません。
幼少のころの今治を振り返る
本社屋から故郷の四国を望む
サラヴィオ化粧品では、これまでの研究成果を形にした製品を世界へ発信しています。日本では本社別府を皮切りに九州から北海道まで営業所を置き、サラヴィオの想いが届きやすい環境を整えてきました。
そして2014年4月、創業者の故郷に錦を飾る想いで、今治に愛媛事業部を開設しました。
創業者は「温泉で人助けをしようと照湯を建てた殿様の想いを、自分が継ごうと誓った。優秀な科学者達のおかげで、その温泉から世界に通用する製品が生まれた。ドクターからのお墨付きと時空を超えたロマンある製品を、痛みで苦しむ人たちに届けてあげたい」と熱い想いを語っています。
愛媛事業部オープンの当日に『村上海賊の娘』が本屋大賞を受賞したことも、偶然か必然か、歴史的因果がもたらしたものなのかもしれません。